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我が人生最悪の時
コパカバーナで、思いがけず、クレーン車を見た。
つい立ち止まって、見とれてしまった。

25歳の春、大学を卒業して広告代理店に入った。
26歳の冬、コピーライターになりたくて会社を辞めた。
ただでさへ募集が少ない職種。それに折からの就職難。大変だった。
春になって新宿にある車関係に強い制作会社に採用が決まった。けど、しばらくして病気になった。
決まった会社は病気を理由に断られた。
さらに悪いことに、長いこと付き合っていた彼女に振られた。
そこの両親とも仲良くしていたので、3倍つらかった。

病気は悪化し、夜中に喀血した。
思わず「なんじゃぁ、こりゃ!」言ってみたけど、言ったところで血は止まらないし、まだ死にたくなかった。
喀血はその後も続いた。異常も続くと日常になる。
そのときには喉もイカれていて、まともに喋れなくなっていた。
「モハヤコレマデカ」覚悟した。
痛みで眠れず、気絶して、正気に戻っての繰り返し。
体温は下がり、身体は釣ったばかりの魚みたいにビクビク動いていた。

無職、別離、病気。
我が人生最悪の時だった。

初夏、2週間以上入院して、2月以上通院した。そして、とりあへず、治った。治してくれた。
医者ってすごい。

通院の帰り途、何故だか分からないけどよく工事現場を見に行った。
ショベルカーで整地して、鉄板を敷いて、土を盛り、土を掻き出す。
暗くなるまでずっと見ていた。
飽きなかった。

少しづつだけど、ものごとが動き出した。

夏、先輩が職を紹介してくれ、中華料理屋で働いた。
義理もあり、しばらく居ることにした。
社員に推薦してくれたが、丁重にお断りして、職を探した。
しかし職種、就職難、そして年齢のこともあってなかなか決まらなかった。

約一年が過ぎた。そのときには守りたい人も居た。
もう、中華の店員になろうか。
最後のつもりで雑誌の編集をしている事務所を受けた。
うれしいことに、面接中に即決してくれた。
その恩に応えるべく、必死に働いた。


それから3年半、かつて工事現場を見ていたまさにその場所で、ブラジルへ行くための訓練を受けた。
何にも持っていなかった5年前とちがって、持っているし、逢ったばかりだったけど、信頼出来る仲間も居た。
ハッピーだった。

そして今、リオ・デ・ジャネイロに居て、コパカバーナでクレーン車を眺めている。


宿命は変えられないけど、運命は変えられる。思った。

しかし、しかし、迷ってばかりの末っ子長男もうすぐ31歳。
因果応報の旅はまだまだ続きそうです。
我が人生最悪の時_b0042825_12203598.jpg

慌てんなよ 雨があがったからって いきなり晴れる訳もないさ
俺はまだ やっと今 はじまったばかりだろう
はやくはない 遅くはない はじめたらはじまりさ
何度でも 何度目でも はじめたらはじまりさ
sion
by vladivost0k | 2005-05-12 12:24 | ノスタルジア
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No Alternative

ギンギラの太陽、ヒラヒラの生きさま。リオデジャネイロ3年目はグッド・イナフ。2007年6月に帰国、帰国後も仕事を続ける。叱咤激励歓迎!
by vladivost0k
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